2018年3月11日日曜日

FM-TOWNS時代

だいぶ間があいてしまった。

私の父は地方の百貨店に勤めていた。地域における百貨店の存在感は大きかったし、ネットもない時代のことなので、百貨店を通して知ることも多かった。
そんな百貨店のパソコン売場に並んでいたのがFM-TOWNSである。
X1を通してゲームをしていた私は、次のパソコンはNECのPC-9800シリーズかエプソンのPC-9800互換機がいいなと思っていたが、新しもの好きで音楽も好きな父親は、職場で見て魅かれたのか、FM-TOWNSを買った。
南野陽子が宣伝し、縦置きのCD-ROMドライブと、その中をくるくると回転するCD-ROMは、たしかに印象的だった。
(その後、立石泰則『覇者の誤算』(講談社文庫)を読んで、富士通のパソコンを使ったことがあってよかったと思った。)

本体と一緒に来たソフトは、セガの「アフターバーナー」。
「アフターバーナー」は、ゲームセンターで見たことはあったものの腕前に自信が持てず、やったことがなかった。かなり練習はしたものの、クリアまではいかなかった。シューティングゲームもいろいろやったが、フライトシミュレータータイプのものよりは、「スターフォース」や「ツインビー」のようなものの方が好きだ。あまり有名ではないが、「バンゲリングベイ」もよかった。

「信長の野望」シリーズをプレイしたのもFM-TOWNS以降だ。
「信長の野望」シリーズの第3作目「戦国群雄伝」である。これ以前の作品は、使用できるのは大名のみだったが、「戦国群雄伝」からは武将が配下として登場する。格段に深みが増したのだが、九州地方と東北地方がないのが残念だった。音楽も耳について離れないものだったが、調べてみると、菅野よう子が担当している。なるほど。
その他、光栄(現・コーエーテクモゲームス)の作品では、「水滸伝」「ランペルール」が思い出深い。
「水滸伝」は、その後、北方謙三『水滸伝』を読んだこともあり、現代の水準で再度ゲーム化されないものかと思っている(ちなみに、北方謙三の歴史小説では、『武王の門』が一番好きだ(最終盤は若干、予定調和的にも感じるが)。北方謙三の文体は南北朝期にうまく合っていると思う。)。
「ランペルール」は、フランス革命からナポレオン帝政期を扱った珍しいゲーム。ネイ、ベルティエ、マッセナ、ベルナドットなどの名前を知ったのはこのゲーム。戦争と外交のバランスが独特で難易度は高めだが、これもリメイクしてほしい。

それ以外では「ラストハルマゲドン」か。RPGであるが、人類滅亡後の地球におけるモンスター達が主人公という点で異色の設定だった。主人公であるモンスター達は、成長すると姿が変わり、一定のレベルに達すると、他のモンスターと合体し、その特性を身に付けるのだが、スライムと合体しようものなら、ひどい姿になり、残念な思いをした。
このゲームの戦闘シーンのBGMも未だに頭の中に残っている(比較的、最近のものでは、FF13の「閃光」も良いと思う。)。
FM-TOWNS版は1989年7月に発売されているが、当時はソ連崩壊前、ノストラダムスの大予言などの本も出ていた頃で、このゲームの雰囲気は世紀末の雰囲気も手伝っていたのかもしれない。

そうこうするうちに、身の周りでいろいろなことが起き、大学受験の時期も迎え、ゲームからは一時遠ざかることとなる。

坂本宮尾『真実の久女』(藤原書店)を読む。昨年、出張で北九州に行った際に、杉田久女の句碑を見たのだが、どんな人だったのかはよく知らなかった。当時と今と、状況はどう変わったのか気になった。 
 ぬかづけば我も善女や仏生会 久女
 

2018年1月27日土曜日

X1時代

年末、帰省したときに、母に、まだゲームをしているのかと驚かれたが、三つ子の魂というやつで、ときに疎遠になりつつも、未だにゲームとの関わりは続いている。

我が家にゲームがやってきたのは、小学校2年生のとき。シャープのX1というパソコンだった。
当時の記録媒体は、カセットテープだったので、ゲームを始めるのに何分もかかった(ゲームによっては一時間近くかかるものも)。
それでも、ゲームセンターに行かなくても自分の部屋でできるのは楽しかった。
私の父親は、子供の自分と同じ目線で遊んでくれる人だったので、母親の目を盗んでは、私の部屋に来て一緒にゲームをしていた。

最初の頃に買ってもらったのは、「ゼビウス」(ナムコ)や「マッピー」(ナムコ)というゲームだった。
素朴ながら、今でもやりたくなるようなゲーム性でBGMは今でも覚えている。
ロールプレイングゲームもいくつか持っていた。
「ブラックオニキス」(BPS)は、ゲームを始めるときに、主人公の髪型を選べるのだが、どの髪型を選んでも大差ない気がしたのを覚えている。主人公の髪型を選べるロールプレイングゲームはあまりないのではないだろうか。
「ハイドライド」(T&Eソフト)は、始まってすぐに、迷宮に入ってはヴァンパイアに返り討ちにあっていた。
それ以外に記憶に残っているのは、日本ファルコムが作り、ロールプレイングゲームの名作として知られている「ザナドゥ」、異様に難しかった「ロマンシア」など。自分で地図を書いたり、攻略法を調べたりしたが、「ロマンシア」は、あえなく挫折した。
当時は、ゲームをやる人が相対的に少なかったということもあるのだろうが、当時のゲームの中には格段に難しいものがあった。
一方で、当時のゲームには、遊び心も盛り込まれていて、例えば、「ザナドゥ」では主人公をプログラマーの名前にすると最初からアイテムをたくさん持った状態で始められるという裏技があった。
さらに、「ザナドゥ」は敵を倒して得られる金や経験値がぎりぎりのところで作られていたり、ハイドライドシリーズでは、「3」で持ち物の重さの概念が導入されたりと、リアルな方向性への追求もあったような気がする。

自分の不注意とはいえ、悲しかったのは、媒体がカセットテープなので、うっかり上書きしてしまうことがあったことだ。
当然ながら、上書きすると、そのゲームはできなくなってしまう。上書きしたので新しいものを買ってくれと親には言えず悔しい思いをした。
あとは、パソコンがあるせいか、ファミコンは買ってもらえなかったので、ファミコンのゲームは友達の家でやるしかなかったことか。
次に我が家にやってきたのは、富士通のFM-TOWNS。平成元年、マルチメディアという言葉が使われていたころだ。

ゲームのことを書いていたら、ゲームブックのことを思い出したが、それは次の機会に。

2018年1月15日月曜日

大厄は2月まで

新年が始まり、実質的な第一週が終わったが、新年早々、高校時代の同級生とメールのやりとりをする機会があった。
性格もよく勉強もできる友人で、当時、下宿で研究していたアルコールの作り方について教えてもらったことを覚えている。一方の私は、塩野七生さんのローマ人の物語の第2巻『ハンニバル戦記』を読んで、第二次ポエニ戦争について彼に語ったものだった。
その彼とは、同じ大学に入ったもののサークルなどが違うこともあり、大学時代に会ったことは数回だったろうか。
その後、私は、働き始めた最初の部署が忙しかったので、飲み会に出る時間も人間関係を手入れする余裕もなく、彼を含め、高校や大学時代の友人とは疎遠になる一方だった。
しかし、大厄の昨年は、とある仕事で広く消息を知らせてしまったのと、結婚して、その食事会に案内を出したのとで、小学校から高校までの友人と連絡をとる機会があり、人間関係が復活する一年でもあった。そんなこんなで、働き始めて十数年経ったが、今年は、キャリアの振り出しに戻ったような気分を少し味わっている。
大厄は2月までらしいが、あと1か月、誰に会うことができるだろうか。

最近は、ディストピア小説を何冊か読もうということで、マーガレット・アトウッド『侍女の物語』(ハヤカワepi文庫)を読んでいる。ドラマの評判も良いようなので、妻に話して一緒に見てみようかなとも企てている。そのあとは、先達に薦めていただいたので、J・M・クッツェーの『イエスの幼子時代』(早川書房)へ。

2018年1月7日日曜日

書店から書店へ

1月4日
年始と仕事始めが離れている人もいれば近い人もいる。
年末年始の休みは6日間あったが、仕事始めの仕事は12月28日にしていたことの続き。
「大事なのは、慣れてしまわないことです。習慣は命とりになりかねません。たとえもう百回目でも、はじめて出会ったかのように一つひとつのものと対峙しなくてはなりません。何度目であっても、一度目でなければならないのです。そんなことがほとんど不可能だとは、私だって承知しています。でもそれが絶対のルールなのです。」(『最後の物たちの国で』ポール・オースター、柴田元幸(訳) 白水社)
そんなことは不可能だ。

1月6日
午前中、病院に行き検査を受け、渋谷の丸善ジュンク堂で妻と待ち合わせをする。その後、シブヤパブリッシングアンドブックセラーズに行き、お昼を食べて、代々木上原のロスパペロテスという古本屋へ。三店とも初めて行った。
渋谷の書店というと、大学受験の二次試験が終わったあとに、一緒に受験した同じ高校の友人と大盛堂書店に行ったことを思い出す。
大盛堂書店は、当時、今とは違う場所にあり、少し狭い入口を上の階へ昇ったが、私は当時、地方に住んでいたため、地元にはない大型書店に行くのが嬉しかった。友人は地方ではなかなか買うことができない雑誌を買い、飛行機の中で一緒に読んだ。
二次試験当日、東京は、ひどい寒さとかなりの積雪で、風邪をひいたことも思い出した。
今日は丸善ジュンク堂で『プライバシーの新理論』(ダニエル・J・ソローヴ 大谷卓史(訳) みすず書房)、『反教養の理論』(コンラート・パウル・リースマン 斎藤成夫/斎藤直樹(訳) 法政大学出版局)、『アメリカ研究大学の大学院』(阿曽沼明裕 名古屋大学出版会)を、ロスパペテロスで『資本主義を語る』(岩井克人 ちくま学芸文庫)を買った。

2018年1月3日水曜日

年末と年始

年末年始に久しぶりに鹿児島に帰省した。
近年は、東京で過ごすことが多かったので実家での正月というのは、少し面映ゆくも感じるとともに、結婚後、初めて正月を実家で過ごしたことになるが、自分が両親と同じ目線になったような気もした。
一方で、以前、文化庁が『お雑煮100選』という本を出したことがあったが、お雑煮の違いなどについて話をしていると、違わない正月という感じがした。
ブログを書いてみたくなったのは、そのせいかもしれない。
行き帰りの飛行機では、『名画で読み解くロマノフ家12の物語』(光文社新書)中野京子と『マインドコントロール』(文春新書)岡田尊司を読んだ。
今年は心理学の勉強をしよう。

FM-TOWNS時代

だいぶ間があいてしまった。 私の父は地方の百貨店に勤めていた。地域における百貨店の存在感は大きかったし、ネットもない時代のことなので、百貨店を通して知ることも多かった。 そんな百貨店のパソコン売場に並んでいたのがFM-TOWNSである。 X1を通してゲームをしていた私は、...